Calibrate: (動詞)優れた機能を得るために微調整を加えること
私が初めて瞑想の概念に出会ったとき、社会の中で多忙な生活を送る多くの人々と同じように、時間の無駄な事のように思えた。結局のこと瞑想は、ただ「座る」という単非生産的な行為だけなのだと考えたのだ。
しかし、数々の運命に導かれ瞑想の本質を知ってからその考えは一変した。例えばケンタッキーで素晴らしいロッククライマーと出会ったときのことだ。彼女にその実力の秘密を聞いたところ、彼女は「それはヨガだ」と答えた。その後すぐに、私はヨガを習い始め、回数を重ねる内に、「シャバサナ(shivasana)」の中もしくはストレッチセッションの後のリラックスポーズでとてつもない穏やかな境地を体験したのだ。
危険な状況での瞑想
もし危険なスポーツが好きならば、心をクリアにして瞑想状態を経験したことが既にあるかもしれない。私がロッククライミングをするとき、真剣にそのクライミングに集中し、「間違ったら落ちてしまう。」などといったマイナスの感情を避けるようにする。難易度やレベルの高い問題に直面したときが特にそうだ。安全でないクライミングはしたことがないが、それでもなお壁面からの落下はとても恐ろしいものだ。
そういった緊迫した状況下で、私が何を感じていたかを説明することは難しい。知っているのは、次の瞬時の動作に対して深く集中していたことだけであり、「自然と完全に繋がっていた」としか言い表せないのである。同じことが、物凄いスピートで木々の間をすり抜けるようなカヤックの激流下りを行っているときも言えるのである。
実は私はしばらくの間、これらのスポーツに没頭していた。特にロッククライミングであるが、地面から遥かに離れた壁面にいると、すべての悩みや問題を忘れることができるからである。
私はその瞬間にいた。一瞬一瞬に集中していた。クライミングのルートだけを考えていた。すべての問題を忘れるなど極端すぎるかもしれない。しかしその時私の心は、頭が無い鶏のようにあちこちを駆け回っていた。普段から私を苦しめる私の悩みは、不思議なことにクライミングの最中には消えていた。
それはただアドレナリンの作用ではないのか。いや違う。私はそれがアドレナリン・ハイであることに気付いた。 雄々しい叫びや、喜びに満たされ歯をむき出しにして笑う様などに代表される状態のものである。それはクライミングが終わったとき、また着地した時や激流を下っているときに訪れるものだ。
もちろん、そういった厳しい状況下での現在という時の実感は、一旦ロッククライミングが終了した途端に、心の歯車が再び回り出し悩みが再度現れてくるという注意が伴う。
静寂は大きな力の源泉である。
(Lao Tzu)
ヨガの話に戻ると、シバサナがクライミング時の集中にすごく似ていることに気付いたのだった。そのとき私は、1500フィートの高さにいなくとも一時間のホットヨガをするだけで、いつでも深く「現在」という時間に集中することができると知ったのだ。
しかし、何故瞑想なのか?
小さなことが気にならなくなる
今日、我々の心は情報過多により追いやられている。1000回の人生を送っても処理できない程の数の情報によってである。連続して新しい情報を処理し、それを殆ど正しく選別できないでいるのだ。その上我々の生活は、さほど重要でもなく実現もしないような事柄で複雑に膨れ上がっている。
我々はそれらの用事を少しばかりのことと思っている。確かに一つ一つはさほど大きなインパクトはないが、合計すると大きなストレスの原因となり得るのである。瞑想は心の中のくだらないお喋りを止め、心をコントロールできるようにしてくれる。
全ての人生の悩みや問題の答えは、瞑想を通して得られうる。
(Wayne Dyer)
大きなことが小さくなる
これについては以前に何処かで耳にしただろう。我々を取り巻く状況のことを考えると、地球というごく普通の惑星に何十億という人が住んでおり、それはまた宇宙の何全億以上もの星々の中のひとつの星の近くにあるだけなのであって、また宇宙の中で我々の生命は一つの鼓動となるのである。
しばしば、地球での限られた時間を意識的に理解しようとすると、我々の問題を広い視野で考えることができる。その他にも、実は取るに足らないことだが、自分の中で深刻に感じてしまう問題に夢中になってしまうこともある。感情が高くなると、ことのちっぽけさに気付き直すのは難しいかもしれない。
臨死体験の経験者はこの全体的視野への変化を得やすいが、しかしこのように、我々の方向性を変えてくれるような、また人生を変えるような出来事は本当に必要なのであろうか。
瞑想をすることで、深刻と感じる問題は人生の中のただの状況にすぎず、人生そのものではないということに気付く、とエクハート・トール (Eckhart Tolle) が言う。外的要因による状況から切り離されると、我々は心配や葛藤から自由になる。そしてその自由から得られるエネルギーで問題をも対処することができるのである。
本当の幸せへの道
快適な外部状況と平和に満たされた心なしで幸せは経験できない。それはハワイのビーチで離婚について考えることや、新車のBMWに乗りながらポルシェを妬ましく思うことに近いかもしれない。しかし本当の幸せは、外部の状況によって自らの善し悪しを判断することから解放され、人生そのものに眠る喜びを見つめるときに感じられるのかもしれない。
赦しや感謝、平和などの概念を伴う瞑想は、本当の幸せを人生にもたらす素晴らしい方法だ。本質的に心を常に本当の幸せで満たされるよう鍛えているのだ。たとえ最悪のことがあなたに起きても、である。
気付き始める
知覚(Consciousness)は人々に普及してきた概念だ。もしあなたがその概念と始めて出会ったとすれば、あなたの考えていることに気付きやすくなることであり、それは永続的ではないことを知っておいてほしい。
同義語に「目覚め」(Awakening)がある。思考内にある意識の方向性によって我々の方向性も決まる。心をコントロールすれば人生はとても楽しいものになる。ただし無反応状態になればである。我々は考えを選べることができるが故、感情や行動が規定される。
瞑想は恐らく知覚的な人間になるための方法であるのだ。我々は隔離されたジャングルの部族でない限り、暗いニュースや我々に豊かな生活とは何かを紹介する広告、また暴力的なテレビ番組などで一杯になった社会の中で育つ。あなたは、自身と他者の中の無意識的な思考や反射的な行動に囲まれている。もちろん、あなたはそのように考えることに何か違和感を感じており、またこの記事をきちんと読もうとしていないかもしれないのである。
外部や人生の状況から逃れるために瞑想をするのではないということを忘れないでほしい。
その問題を広い視野の中に入れるためであり、自分を再調整するためである。それはすべてが大した問題ではなく、小さくもない状態になるまで再調整をするのである。
挑戦してみよう。コツを掴むまで何回かかかるが、一旦得ればすぐ様その良さに気付くだろう。 いくつかのコツについては、ここをクリック
あなた自身の中の静寂との触れ合いを得て、人生のすべてには目的があることを知れ。
(Elisabeth Kübler-Ross)
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